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県営大宮球場とは?
埼玉県さいたま市(旧大宮市地区)にある野球場。埼玉県内のプロ野球の中心地がライオンズ球場であるのに対し、こちらはアマチュア野球の中心地であり、高校野球埼玉県大会決勝戦や社会人野球で幅広く使用されている。
嘗ては34(昭和9)年の日米野球大宮会場としても使われ、現在は埼玉を保護地域とするライオンズが合併騒動以降の地域密着策の一環として年5試合程度の主催試合を行う。
球場規模は92(平成4)年の改修により両翼99m、バックスクリーン122mと国際規格球場となったが、総面積は殆ど拡張されず、外野席の範囲は非常に狭いものとなっている。隣接するNACK5スタジアムに場外ホームランが飛び込むなど、狭い範囲にスポーツ施設群が集中している。
Stadium Data
所在地 〒330-0803 埼玉県さいたま市大宮区高鼻町4-9 マップ
右翼 99.0m
右中間 113.5m
中堅 122m
左中間 113.5m
左翼 99.0m
外野フェンス 上1.8m、下3.2m、計5.0m
面積 非公表
フィールド面 内野クレー舗装、外野天然芝
照明塔 6基
照度
観客動員数 20,500人(内野17,000人、外野3,500人)
Stadium History
開場−日米野球
開場は古く、34(昭和9)年4月1日に遡る。同年11月29日、日米野球大宮会場として使用され、大リーグ選抜と日本選抜が対戦。ゲリンジャーが3本、ベーブルースとホワイトヒルが各2本の本塁打を放ち、5-23という大差を付けられ日本が完敗した。この試合では後に巨人エースとなるスタルヒンが登板、デビュー戦となった。
その後、戦前から戦後に掛けて主にアマチュア野球会場として使用され、48(昭和23)年から55(昭和30)年まではプロ野球一軍戦も僅かながら開催された。53(昭和28)年8月、当時佐倉一高3年だった長嶋茂雄は飛距離107mの本塁打を放ち、プロ野球から注目されることになる。

改装
80年代に入ると大宮球場が老朽化した上に球場規模が手狭となったため、従来の大宮球場では対応できなくなる。高校野球埼玉県大会も82(昭和57)〜91(平成3)年はライオンズ球場をメイン開場とする措置が取られた。そのため、88(昭和63)年、従来の大宮球場を廃止し新球場を建設する計画が持ち上がる。しかし埼玉県が用地確保に失敗したため、従来の大宮球場を改装する計画に変更され、92(平成4)年に開場。当年の埼玉県大会に合わせて7月14日から供用を開始した。
08(平成20)年、ライオンズは合併騒動後の地域密着策の一環として大宮での主催試合開催を開始、6月27日の千葉マリーンズ戦を皮切りに毎年5試合程度の主催試合を開催している。当時既に堤義明は証券取引法違反で有罪判決を受け完全に失脚しており、西武沿線地域以外での開催について支障はまったくない状態だった。
更に上田清司知事と後藤高志オーナーとの間で会談が持たれ、同年のクライマックスシリーズ第1戦が本球場で行われることが決定した。

12(平成24)年以降も年間数試合の埼玉ライオンズ戦開催が予定されており、「埼玉のライオンズ」をアピールすべき重要な拠点となっている。
MIDIデータ
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