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ACCESS

JR予讃線
■最寄駅
JR市坪駅

■主な経路
JR松山駅=(JR予讃線)=>JR市坪駅

■最寄駅からの時間
徒歩3分〜5分

嘗ての市坪駅は単線一面の寂しいローカル駅でしかなかったが、球場開設後は正岡子規にちなみ「の・ボール」駅という通称が付けられ、現在は2面式の駅に建て替えられた。尤も、野球開催のない日は相変わらず寂しい無人駅のようだ。
なお、予讃線の時刻表を見て「終電大丈夫か!?」と福本並みに青ざめる人々もいるかもしれないが、プロ試合開催の日には増便されるのでご心配なく。

伊予鉄道 郡中線
■最寄駅
余戸駅または鎌田駅

■主な経路
いよてつ松山市駅=(いよてつ郡中線)=>余戸駅または鎌田駅

■最寄駅からの時間
徒歩20分〜30分

地元民以外は決して使ってはならない禁断のルート。住宅街を抜ける細い路地を通って、更に大通りを横切ると川の向こうに競輪場が見えてくる…というと、距離感がわかるだろうか?更に競輪場を越えるとようやく球場が見えてくる。少なくとも自転車辺りがないとまず迷うこと間違いない。
寧ろ松山市からであれば、臨時バスを使用したほうが無難。

市内案内
県外から松山に来る際、ほぼ必ず通るのがJR松山駅。本州側からであれば特急しおかぜ、高松からであれば特急いしづちでくることになる。なお、両特急は運行上全く同一のものとされているらしく、宇多津で連結されるため、松山から帰る際は乗る車両に注意しないと大変なことになる。なお、駅改札を出るとすぐ観光案内所があるので、宿泊施設はここで尋ねると良い。
(左)岡山発しおかぜ、高松発いしづち。何だか山形新幹線・つばさをパクったようなフォルム。なお、予讃線の電化区間はここまでなので、ここから先へはディーゼル特急宇和海に乗り換えることになる
(右)夜の松山駅。

とはいえ、神戸の中心地が三宮、東京の中心地が新宿、というように、JRの中心駅がある区域はたいていの場合「町の中心部」ではない。松山もご他聞にもれず、市の中心地は松山駅周辺ではなく、いよてつ松山市駅周辺である。デパートや商店街もこちらのほうが充実しているので、ここで買い物を済ますと良いだろう。松山駅からは路面電車で5分程度である。
駅前にはタイガースファンが集まることで知られる喫茶店「花筏(はないかだ)」もある。阪神ファンは立ち寄ってみると良いだろう。
(上)いよてつ松山市駅。こっちが市の中心街。
(下)花筏正面と店内。それにしても、阪神ファンのお店って、なんでこんなに自己主張が強いんだろう…
なお、このお店の女将さんは若い頃大阪近郊に住んでおられたようで、阪神ファンになったのはその時からだそうだ。
(今回の取材では、女将さんから松山市内の野球関連情報を多数頂きました。取材ご協力感謝いたします。)

松山市駅裏手、正宗寺境内には、正岡子規を記念した子規堂がある。境内には野球関連の資料も少なからず存在し、子規の野球好きは地元ではよく知られた事実だったことが窺い知れる。子規堂の入場料は何とわずか50円!
正宗寺境内の子規堂と子規、漱石の記念モニュメント。子規の野球好きは地元ではよく知られたことのようだ。子規と漱石は明治時代、西洋文化尊重の風潮の中で日本人の精神が忘れられていくことに強い危機感を共有する親友でもあった。
「坊っちゃん列車」は現在でもいよてつが運行している。なお、本作の中では「マッチ箱のような汽車」と書かれているが、言い得て妙な表現である。
ころで、以前朝日放送で放送されていた「晴れ時々たかじん」という番組の中で、新野新氏が「今どき松山に「マッチ箱のような汽車」なんか走ってない」と発言し、朝日放送に苦情が殺到、折悪しく松山でのコンサートを控えていたやしきたかじん氏が当日観客に謝罪するというハプニングがあったらしい。たかじん氏はそのことについて、新野氏に対して「何で俺があんたの代わりに謝らなアカンねん!」と激怒していた…

さて、松山といえば誰でも思いつくのが「道後温泉」。既に聖徳太子の時代には名湯の地として知られていたらしく、現在でも有名人がコッソリ湯治に訪れることで知られる。松山駅からも松山市駅からも、路面電車で25分で到着する。野球観戦目的で松山に来る人々も、わざわざここで宿を取る場合も多いだろう。
道後温泉商店街前には「坊っちゃん」の名シーンを再現したカラクリ時計もあるので、見物してみるのも面白い。時計台前には明治時代の警察官のいでたちで時計の解説をするボランティアさんもいるので、しばし耳を傾けてみても良いだろう。
また、この近辺では、明治女学生の羽織袴貸し出しのサービスも行っている模様。詳しくはホテルのフロントに訪ねてみるとよい。少なくとも「マドンナに百分の一ぐらいは近づける」のではないだろうか…((^^)☆\(-_-;)こらっ!)
(上)道後温泉本館と道後温泉駅。
(中)カラクリ時計と地元ボランティアさん。なお、このボランティアさん、取材当日は結婚40周年だったそうです。おめでとうございます。(^^)v(肖像権の問題上、正面からの写真は掲載できません。悪しからずご了承下さい。)
(下)ここにも坊っちゃん列車が展示されている。

松山駅正面の大通りを真っ直ぐ抜けると、ちょうど正面が史跡・松山城である。松山は江戸時代、親藩大名(徳川将軍家の縁戚関係)だったため、流石に立派な城郭を備えている。
嘗てはこの城内に市営球場があったが、現在は国に返還され、整備工事が行われている。天守閣がはるか上方に見えるが、歩いて登るのは一苦労である。脚に自信の無い人は東雲神社横のロープウェーかリフトを使ったほうが良いだろう。
城の手前には野球用語をネタにしたメニューを扱う居酒屋・野球道場がある。愛媛が野球県であることを思い知らせてくれる逸品である。
(上左)いよてつ西堀端電停前。かつてこの奥に市営球場があった。
(上右)史跡・松山城。
(下左)野球道場。因みに、失投は「ししとう」。俊足は「ゲソ(イカの脚)」。
(下右)取材当日は松山城天守閣から満月が昇っているのが見えた。ライオンズ−ベイスターズ戦を次の日に迎えるこの日、子規ならばこの月を見てどんな句を詠んだことだろう…
球場周辺
もともと市坪周辺は郊外であり、松山城の裏側にあるため、球場周辺は買い物が出来るような場所はない。周辺は球場と同じく松山城から移転したスポーツ施設群ばかりである。
坊っちゃんスタジアムのちょうど北側には、サブ球場として「マドンナスタジアム」が建つ。ここはスワローズの秋季キャンプ場としても知られる。「マドンナ」の名は「坊っちゃん」に登場するヒロインに因んだものである。なお、誤解している人が多いが、「坊っちゃん」と「マドンナ」は作中では知り合い程度と言った感じで、深い関係はない。「うらなり」と「マドンナ」の関係に「赤シャツ」が横槍を入れ、その片棒を「野だいこ」が担いだことが本作で語られる最大の場面のきっかけである。

球場の名称は「坊っちゃん」だが、まず駅を降りて目に付くのは「正岡子規殿堂入り記念碑」。子規は結核を患いながらも野球好きで知られ、「升(のぼる)」という幼名に引っ掛けて「の・ボール」の名で俳句を発表したこともある。米国から輸入されたばかりの野球用語の翻訳も数多く手がけ、これらの文化的貢献が認められて02(平成14)年には殿堂入りが認められた。公園内には、他にも子規の句を刻んだ記念碑が建てられている。
更に球場1階部分には、の・ボールミュージアムがある。展示物の多くは愛媛県内の野球関係に関するものが多く、影浦将・千葉茂・佐伯勇といった人々のレリーフが展示されている。
一方、古田2,000本安打達成記念碑も公園内にある。
(上左)愛媛県武道館。このほか、陸上競技場、競輪場などもある。すべて松山城から移転した施設群だ。
(上右)マドンナスタジアム。でも
メインスタジアムが「坊っちゃん」で、サブ球場が「マドンナ」なんて命名して、よく社●党の勘違いフェミニスト議員あたりが「女性差別だ!」なんて騒がないもんだ。
(下)正岡子規殿堂入り記念碑。子規の翻訳による野球用語も並んでいる。普段何気なく使っている野球用語って、実は文学表現だったのね…ちょっとビックリ!
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